「箱根強羅ホテル」現実でなく芝居だから見えること | ■RED AND BLACK extra■舞台と本の日記

「箱根強羅ホテル」現実でなく芝居だから見えること

少し書き足し&推敲しました
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(あらすじは、こんな感じ)
敗戦の色が濃厚となってきた昭和20年の4月。閉鎖されていた高級ホテル「箱根強羅ホテル」に、ある外務官僚がやってきた。このホテルを舞台に、中立国のロシアを通じて連合国との和平交渉を画策し、戦争を早期に終結させるためだ。だが本土決戦に突入しようとする軍部に知られたら、この計画はだめになる。ホテルを再開するために、地元で人手が集められた。従業員部屋の2日間で、意外な出来事が起こる。

(感想ここから)
レ・ミゼラブルやエリザベートといったミュージカルで、生々しい人物像を印象付けた内野聖陽さん。もともと活躍していたストレートプレイではどんな演技を見せてくれるのか期待しながら、新国立劇場へ向かった。


井上ひさし作品はいつも脚本の出来上がりが遅くて周りをひやひやさせるらしいけれど、それでも新作を待ちわびるファンが多い理由が、初めて観た自分にも分かった気がする。うん、こんなお芝居みせてくれるなら、毎回期待してしまうのも当然だ。

笑わせよう、感動させようという意図はあからさまでないのに、いつしか客席に笑いをもたらし、心にほんのり染みを残す。戦争を通してぶつかるエゴや思い込みという厳しいテーマを扱っているけれど、そこへアプローチする手段は温かな笑いだというのがいい。

本当はいろいろ書きたいのだけど、今はがまん。え、この人が実はこうなの? じゃあ、この関係は? というように、くるくる展開する人間関係に驚くのもこの作品の楽しみだと思うからだ。昨日、下の記事で紹介した劇評は、かなりそのあたりを書いてしまっているので、要注意。

そういうわけで、歯にものがはさまったような言い方になってしまい申し訳ないのだが、自分なりに魅力に思ったところをいくつか挙げてみる。

内野さんの登場シーンでは、昨日の劇評紹介記事で「軍人さんかな」と書いたのが間違いだったかと思った。だが物語が進むに従って、でも実は…、それでもさらに… とほかの面が明らかになっていく。冒頭では、植木職人。籠を背負って腰の曲がった姿が、なかなかサマになっている。江戸っ子を思わせる、威勢のいい話しっぷりも小気味いい。今までのストイックな内野さん像が見事に飛んでいった。これだけでも1幕は満足!

…と思ったが、1幕最後に印象に残ったのは、麻美れいさん演じる教師と内野さんが歌うシーンだ。ここで詳しく明かせないのが残念だが、人生のあんな重大な局面に接した心の衝撃が、静かに、素直に伝わってくるのは、芝居という方法のおかげだろう。現実では、こんなきれいなやりとりは、きっとありえない。でも長年封印してきた気持ちの奥底は、現実ではなく芝居だからこそ、かたちを成すのかもしれない。「怪我をしては、いや…」という優しい子守歌が、耳の底に残る。

2幕。ここで魅かれたのは、藤木孝さんだ。1幕では「あれ? これが『デモクラシー』に出ていたあの黒幕の紳士?」と信じられないほどおどけていたのだが、2幕ではその可笑しさが恐ろしくなる。『デモクラシー』で政界の糸を裏から操っていた「おじさん」を思い起こさせる、策士である。

ラストシーン近くのせりふに「できるといいなという希望が、いつの間にか思い込みに変わってしまう」というような言葉がある。和平派がすがりついたロシア交渉ルート。軍部が固執した本土決戦。どちらも最初は単なる可能性にすぎなかった。対立するもの同士が、自分の言動を振り返って共にしみじみするのも、現実ではありえないことだろう。でも、戦時中の狂信じみた人たちを今の自分は笑えるのだろうかと我に返ったら、このシーンが心をちくりと刺してきた。翼賛体制下の人々のごとく、「何だか、ちょっとおかしいかも」と思うような行動を続けているうちに、いつの間にか感覚が麻痺して、違和感を覚えなくなってしまう……。そんな傾向は、現代に生きる自分たちにもあるのではないだろうか。電車の中で化粧する女性しかり、長いものに巻かれて安心している会社員や官僚しかり。

作者の井上ひさし氏が開幕に寄せた言葉は、脚本同様、締め切りに間に合わなかったのか、パンフレットに別刷りではさみこまれている。その最後の2行。私は観劇前に読んでしまったけれど、芝居を見ながらも「本当に?」と信じられない気持ちだった。でもそれがかえって、思い込みのおそろしさを際立たせていたようにも思う。

2階の横のほうの席でみたので、若干見切れもあったけれど、3000円でこんないいお芝居みせてもらって、豊かな気分。チケット代の倍以上の価値を感じた。新国立劇場という、公共施設の主催だからお値段控えめなのかな。ありがたい。