「ラ・マンチャの男」(2)幸せを演じる稀少な力量 | ■RED AND BLACK extra■舞台と本の日記

「ラ・マンチャの男」(2)幸せを演じる稀少な力量

昨日の記事 では、自分を騎士ドン・キホーテと名乗る男の夢物語が、旅籠の下女アルドンサや観客の心を動かしたという話を書いた。


アルドンサを演じる松たか子さんの芝居で、よく覚えているところが2つある。
まずは、男たちに陵辱されてぼろぼろになったあと、自分へ変わらぬ想いを寄せるキホーテに、鬼気迫る形相で詰め寄るところ。「ドブの中で生まれたあたいさ」「罪? 一番大きな罪を知ってるかい? 生まれてきたことだよ。その罰としてこうして生きている!」彼女の感情が最も高ぶっているシーンだ。確かにインパクトを感じたが、自分にとってはセリフによる印象の強さのほうが大きかったかもしれない。


それに対して、最後にキハーノを看取ってから、おもむろに座り込み「ドルシネア… ドルシネア…」とささやくように歌うとき。恍惚とした表情には、松さんだからこそ出せる気高さを感じた。自分は荒んだアルドンサじゃない、この人によってドルシネア姫になれたんだ…。たぶん、初めて人生を肯定できた幸せをかみしめているのだろう。こんな繊細な感情を観客に届けることができるなんて、やはりただものではないのだと、素人の私でも感じる。


「ミス・サイゴン」のキムを松さんが演じたときにも、同じようなことを思った。キムも、夢のない生活を続けていたところを米兵クリスとの出会いによって救われ、将来に希望を持つようになる。悲しい離別が待っていることをまだ知らないキムのはかない幸せを、奥ゆかしい笑みと美しい所作で表現した松さんの演技は、なんだか特別なものだった。


激しい演技も迫力があって好きだが、穏やかな幸せがじわじわ伝わってくると、こちらも心が満たされる。こういう演技力は、おそらく訓練して得る種類のものではないだろう。「貴さ」をかたちにして表すことのできる、稀少な役者さんだと思う。


ところで、一つ疑問が。
アルドンサが、自分を襲った男たちのケガを手当てするとき、むすっとした声で「気高い心が許しません」と言う。私が観た回は、そこで客席からかすかに笑いが起こったのだが、ここは笑うべきところなんだろうか? アルドンサに痛々しいものを感じていたところだったので、この反応にはとまどった。