『風を結んで』(1)「日の当たらない人生」が、なぜ泣ける | ■RED AND BLACK extra■舞台と本の日記

『風を結んで』(1)「日の当たらない人生」が、なぜ泣ける

(あらすじは、こんな感じ)

世が明治に変わって間もないころ。刀の所持を許されなくなった武士たちは、明日の生活にも事欠くありさまである。洋行帰りのお嬢様・由起子は、そんな浪人たちを集めて“パフォーマンス”をさせるビジネスを思いつく。身分へのこだわりを捨て、見世物一座に参加した侍たち。そこへ、全国の不平士族たちが各地で反乱の狼煙を上げたという知らせが入る。このまま芸人として新しい人生を歩むか、それとも…。激動の渦の中、浪人武士それぞれが出した答えとは。


(感想ここから)

TSミュージカルファンデーション を初見。

泣いた。
泣きゃあいいってもんではないのだが、誇りを手放す男たちの葛藤を目の当たりにして、何度も涙をぬぐわずにいられなかった。


この作品には、対照的な生き方がいくつか取り上げられている。


「いかに死ぬか」という武士道から外れることのできない剣豪・右近(今拓哉)。「生きて、生きぬく。そのためなら武士を捨てて喜んで大道芸人になる」と言う旗本・平吾(坂本健児)。信念のために死ぬ男に対し、大事な人のために生きようとする男という構図。


「チャンスは自分でしっかりつかまなきゃ」という考えをアメリカで仕入れてきた由起子(絵麻緒ゆう)。「この人のためなら尽くしてみたいという人とめぐり合いたい。それが強さに思える」と信じる静江(風花舞)。2人の女性の好対照な姿勢。


このお芝居を観て最も共感できた点は、これらに勝ち負けや優劣をつけて描いていないことだ。男たちは、日の当たらない人生の中で、失ったよりどころを求めて揺れ動いている。女たちも、自分の考えは本当に正しいのかと想いをはせる。そこで時代の流れに乗ろうが置いていかれようが、決めた道を貫こうとする者に、「勝ち組」も「負け犬」もいない。


泣けたところといえば、佐々木という武士が、将来を悲観して身投げしようとしていたところを救われ、見世物一座に連れてこられた場面だ。「かつて自分の家に仕えていた下男が、いまや人力車引きとなった私の客となり、こづかいまで握らせたのです」と告白する様子に、最初の涙がこみあげてきた。体面を捨てて傷ついた誇りに、世間はさらに塩を刷り込もうとする。一座に集まった男たちに共通する痛みだろう。後に、この佐々木は反乱士族を取り締まる警察側のスパイであり、この話は偽物だと分かるのだが、それにしても観ていてつらかった。


さらに、1幕最後で一座の集合写真を撮るシーン。右近が後列端に加わってポーズを取ろうとする姿に、涙がぼろぼろ出てきた。武士道精神が骨の髄までしみこんでいるこの男は、家を守るためなら妹・静江を身売りするのもやむなしとする。そこを救った平吾への借りを返すため、右近はしぶしぶ一座へ参加しており、仲間とはどこか一線を引いているのだが、写真撮影のときはけなげに芸人としての職務を全うしようとしているのだ。こんな格好でいいのかな、この位置でいいのかな、と姿勢を微調整している右近。自分の存在理由そのものである武士道を捨て、見世物になる苦しみに黙って耐えている。私の中では、ここがお芝居のクライマックスだった。


印象深かったキャストのことなど、また今夜。