■RED AND BLACK extra■舞台と本の日記 -4ページ目

「ナイン THE MUSICAL」(2) 想像力を刺激するツボ

昨日の記事 では、「ナイン」のストーリーを追いながら、それに今ひとつ乗り切れなかった不甲斐なさを書いた。愛憎相半ばする男と女たちをあれだけ目の前にしていたというのに、自分の感受性の乏しさが情けなくもある。周りでは、泣いている人も多かった。特にラスト近く、グイードがいよいよ生きるのをやめようとしたとき、9歳のころの自分がやってきて微笑みかけるシーン。当たりかまわず錯乱するグイードの姿に、客席からすすり泣きが聞こえた。自分はただ呆然と、我を失ったグイードを観ていた。

 

さて、そんな私にも楽しみを与えてくれた「ナイン」観劇のツボを少し紹介したい。

自己流なので、あくまでご参考として。


◎ヘアメイク・衣装おたくは迷わず観るべし


古風でコケティッシュ、愛らしいのに優雅で上品。オードリーに代表されるような1960年代の空気がいっぱい詰まったファッションは、見ているだけで幸せだ。ありがたいことに超前方席だったので、メイクをじっくり観察できてうれしかった。特に魅力を感じたのは、愛人カルラ。役柄上、一番セクシーないでたちなのだが、ぶっといアイラインにべったりネイビーのアイシャドウ、目を隠してしまうほどのバサバサまつげで、「これが色気ってもんよ!」と堂々と彼女らしさをアピールしていた。服はすけすけ、ぷりっとしたヒップも見えちゃっていいのかな…と目のやり場に困ったりもしたけど、いやらしさは感じなかった。むしろ可愛い。これも、カルラの健気さを大事に演じた役者さん(池田有希子さん)の力量だろう。グイードとの関係が結末を迎えたとき、こんな格好のまま悲しい歌を歌いながら、マスカラの黒い涙を流していたところ、目が離せなかった。

パンフレットには、キャスト一人につき1ページ割いて全身写真が載っているけれど、物足りない。こんなに手の込んだメイクなんだから、写真をアップにして、一人ひとりの顔をもっとよく見せてください! 宝塚のパンフのように、鼻筋の描いてある線、まつげの1本1本までじっくり観察したいほど、「ナイン」のメイクが好きなのです。


◎シーツにくるまって、カルラご登場の場面


これから観る人のために、具体的な説明はやめておくが、アクロバティックな動きにもびっくりするし、グイードになまめかしくまとわりつく仕草も素晴らしい。でもご退場のとき、あれはどうやって固定しているのだろう。お尻をひっかけているだけじゃないよね?


◎水の意味、砂の意味


2幕では、舞台が水で満たされる。壁面の絵から水がにじみ出て、床が池のようになる。そこをばしゃばしゃ役者さんが歩くもんだから、前から1~2列めくらいまでは水しぶきが飛んでくることも。さてこの水、どんな意味があるんだろう。そこがスパだから。水の都ヴェニスの話だから。過去を水に流そうとする気持ちの象徴…。答えは分からないけど、私には全員の涙のように思えた。これだけの涙が出ても不思議じゃないくらい女たちを泣かしたでしょ、ねぇグイード! でも彼自身もめそめそしているから、手に負えない。


9歳のとき、グイードに女の扱いをおしえたサラギーナおばさん。高く掲げたカップから赤い砂を、砂時計のように落とすシーンがある。沈黙の中、砂が落ちる音だけがしばらく続く。あの砂は何を意味しているのか。デビッド・ルヴォーの回答は、「ほぼ日刊イトイ新聞」 の「ナイン」コーナー第27回に載っている。ちなみにサラギーナを演じる田中利花さんは、冬のレ・ミゼラブル大阪公演でマダムテナルディエを演じる方です。


◎水もしたたるキャストの写真


主催のtptのホームページで「ナイン」>「cast & character」をみると、キャストの写真が載っている。小さくて見えにくいかもしれないけど、みんな水もしたたるいい男&女に映っている。濡れてしめり気を感じさせる顔と背景は、たしかに「世界一セクシーなミュージカル」のパンフレットにふさわしい。この写真も拡大版で見たいな。


◎宝塚版「ファントム」と同作者


作者のアーサー・コピット、作詞作曲のモーリー・イーストンは、昨夏に宝塚宙組が公演した「ファントム」をつくった人でもある。そういえばあの「ファントム」でも、主人公の少年時代が物語のカギを握っていた。



おまけ:
パンフレットを買ったら、「満足」ブランドのストッキングがもらえました。衣装協力の福助が提供とのこと。パンフレットは1500円。この内容にしては、ちょっと強気なお値段ね…と思ったけど、ストッキング代(普通に買えば税抜500円)を差し引けば1000円ということになります。それなら、まぁいいかな。

トニー賞が発表されました

日本語の記事はこちら

niftyシアターフォーラム

(「トニー賞授賞式 ミュージカル作品賞は~」の記事を見てください)


トニー賞公式サイトの発表記事はこちら


「ラ・カージュ・オ・フォール」がリバイバル賞。この作品はまだ観たことがないけれど、「I am what I am」の歌は聴いていると元気がふつふつとわいてくるので、大好きです。また日本版を再演してくれないかな、お願い!

春に観たのがまだ記憶に新しい「デモクラシー」も、演劇賞にノミネートされていたんですね。受賞作の「ダウト」、現在のアメリカで、カトリック神父による少年への性的虐待疑惑というシビアなテーマの作品に光が当たるというのは、やはり大きな影響があってのことでしょう。観てみたいです(英語が分かれば、ですが…)。

「ナイン THE MUSICAL」(1)道を選ぶ女、選べない男

書き直しました
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(あらすじは、こんな感じ)
昔は売れっ子だったイタリアの映画監督グイード・コンティーニ40歳。再起をかける新作のアイデアがなかなか浮かばなくて苦しんでいる。なのにプロデューサーには「万事好調」と、いつものように大口をたたく始末。見かねた妻は、ついに離婚を切り出した。グイードは仕事や私生活の行き詰まりから逃げ出すかのように、妻を伴ってスパ・リゾートへ。そこに愛人カルラが大事な知らせを持って駆けつけてくる。さらに過去の女たちや天国のママ、9歳のころの自分が現れ、追い詰められたグイードを取り囲む。果たして映画は完成するのか、そして人生の混乱に答えを出せるのか?

(感想ここから)
この感想文につけたタイトルは、もしかしたら間違っているかもしれない。なぜなら物語の最後に、グイードはおそらく人生で初めて、自分の道を選ぼうとしているからだ。いや、選べたかどうかは分からない。ただ、八方美人でやってきた人生のツケに打ちひしがれたあと、立ち上がろうとする力は得たはずである。

力を与えたのは、彼と関わってきた16人の女たちだ。皆がグイードを愛しているが、やがてそれぞれ気持ちに折り合いをつける。離婚を切り出した妻だけではなく、彼のミューズである女優クラウディアも、愛人も、大好きなママも、ためらいを抱えながら前へ進む。愛情も強さも惜しまず男に与えたのち、潔く自分の道を選ぶ「ナイン」の女たち。その姿はかっこいい。

対して、このお芝居でただ一人の男性であるグイードはどうか。どこかの雑誌の宣伝文句ではないが、設定は「モテるイタリアおやじ」を絵に描いたような男盛りである。9歳のとき砂浜で女の愛で方を教わってから、みんなを同時に愛し、愛されているつもりで、これまでうまくやってきた。それがどうして今、混乱するのか、40歳の彼は分からない。去年演じた福井貴一グイードには繊細さを感じたが、今年は別所哲也グイードということで、どんな甘い男になるのかと楽しみにしていた。

実際に観て、より強く伝わってきたのは、女をたぶらかすヤラしさというより、映画監督としての将来をくよくよ悩むナイーブさだった。確かにそれはグイードの一面ではあるのだけど、なぜか釈然としなかった。だって、このお芝居の宣伝文句は「世界一セクシーなミュージカル」だったはず。グイードの恋愛模様よりも、生きかたや仕事といった面に感情移入してしまうなんて。こんな解釈でいいのだろうか…?

その理由を考えながらしばらく観ていたのだが、1幕の途中でふと気がついた。大浦みずきさん演じる映画プロデューサーのリリアンが、客席とアドリブを交わすお決まりの場面でのことだ。この日も、大浦リリアンがステージから言葉を掛けたのだが、客席はシャイで反応がちょっとにぶかった。一人ずつ指名すると客側も答えるのだが、今ひとつ気の利いた言葉が返ってこない。客は素人だからそれでいいのかもしれないけど、「せっかく指されたのだから、この際、恥ずかしがらずに盛り上げちゃえ!」という勢いはみられなかったように思う。大阪公演ではどうだったんだろう。

「ナイン」を観るときは、自分も17人目の登場人物になったつもりで物語の中に飛び込み、勢いに乗ってしまうほうが何倍も面白いと思う。この作品は、受け身のまま漫然と観ていても感動させてもらえるミュージカルとは違う。舞台装置も斬新な演出も(これについては次回で書きます)、何かを説明するためのものではなく、想像力をふくらませて味わうための仕掛けなのだ。そこが新しく、大人向けの舞台だといわれるゆえんだろう。

だけど自分の場合、グイードを囲む16人の女たちのように濃密な愛情を捧げた経験があんまりないせいか(どーせね…)、彼らの愛憎と自分の感情を重ね合わせ、物語に身を任せるのが、なんだか難しかった。有無を言わせず心を揺さぶられる何かを、舞台から感じ取ることができなかったのは、もったいないことだと思う。普段、仕事の心配ばかりしているためかどうか、映画監督としての苦悩のほうに反応してしまった。

とはいいつつも、このミュージカル、好きだ。また再演があったら、必ず観るだろう。それまでに濃いーい恋愛ができればいいんだけど。細かいお気に入りポイントなど、次回で続きを。

つぶやき:

こんなこと書いている自分も、客席とのアドリブタイムではどきどきしていた。実は去年、同じ場面で「楽屋に素敵なお花くださったの、あなた?」と大浦リリアンから指されたことがあるのだ。その時は予備知識がなかったので意味が分からず、本当に花束の贈り主を探しているのだと思い、力いっぱい否定してしまった…。舞台の流れにうまく参加できなくて、ごめんなさい。


つぶやき2:
演出家のデビッド・ルヴォーさん、見た目にとってもグイードっぽい色気を感じるんですけど… 長年この役と向き合ううちに、同化してきたのかな。

つぶやき3:
聞くところでは、観ながら涙を流してた子どももいたらしい。ということは、問題は恋愛経験ではないということか。自分も、グイードに負けない「ダメ大人」な気がしてきました…。

「箱根強羅ホテル」毎日新聞の劇評

MSN-Mainichi INTERACTIVE>芸能>話題(見出しにはでていないので「一覧」をクリック)>毎日新聞紙面から>2日 のところに、「箱根強羅ホテル」とあります。


ちょっと味気ない書き方に感じましたが、これから観る人のために筋を明らかにしない配慮ゆえでしょう。この記者さんも、藤木孝さんに注目してます。「おじさん」ファンとしては、にんまり。

恋に落ちたら…♪

アスペクツ オブ ラブ 、8月から10月まで自由劇場で上演ですね。昨日知ったときから、ずっと「恋に落ちたら、すべてが変わる…♪」と頭の中で演奏中です。


舞台は観たことがないのですが、この曲のCDを持っていて、何度も聴きました。1曲だけで「観たい」と思わせるなんて、おそろしい歌。アンドリュー・ロイド=ウェーバーのねっとりうっとりした音楽で、ふぬけになってしまうのは、悪い気分じゃありません。『オペラ座の怪人』も曲ではまって、うなされたようにふらふらとリピートしました。


あの小さな劇場で、生オーケストラになるのでしょうか。座席表をみると4列目からだし、スタッフにはオーケストラと指揮者の名前もあります。お、時任康文さんという方は、『ナイン』東京公演を振っている人だ。さて観ようかな、どうしようかな…

「箱根強羅ホテル」現実でなく芝居だから見えること

少し書き足し&推敲しました
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(あらすじは、こんな感じ)
敗戦の色が濃厚となってきた昭和20年の4月。閉鎖されていた高級ホテル「箱根強羅ホテル」に、ある外務官僚がやってきた。このホテルを舞台に、中立国のロシアを通じて連合国との和平交渉を画策し、戦争を早期に終結させるためだ。だが本土決戦に突入しようとする軍部に知られたら、この計画はだめになる。ホテルを再開するために、地元で人手が集められた。従業員部屋の2日間で、意外な出来事が起こる。

(感想ここから)
レ・ミゼラブルやエリザベートといったミュージカルで、生々しい人物像を印象付けた内野聖陽さん。もともと活躍していたストレートプレイではどんな演技を見せてくれるのか期待しながら、新国立劇場へ向かった。


井上ひさし作品はいつも脚本の出来上がりが遅くて周りをひやひやさせるらしいけれど、それでも新作を待ちわびるファンが多い理由が、初めて観た自分にも分かった気がする。うん、こんなお芝居みせてくれるなら、毎回期待してしまうのも当然だ。

笑わせよう、感動させようという意図はあからさまでないのに、いつしか客席に笑いをもたらし、心にほんのり染みを残す。戦争を通してぶつかるエゴや思い込みという厳しいテーマを扱っているけれど、そこへアプローチする手段は温かな笑いだというのがいい。

本当はいろいろ書きたいのだけど、今はがまん。え、この人が実はこうなの? じゃあ、この関係は? というように、くるくる展開する人間関係に驚くのもこの作品の楽しみだと思うからだ。昨日、下の記事で紹介した劇評は、かなりそのあたりを書いてしまっているので、要注意。

そういうわけで、歯にものがはさまったような言い方になってしまい申し訳ないのだが、自分なりに魅力に思ったところをいくつか挙げてみる。

内野さんの登場シーンでは、昨日の劇評紹介記事で「軍人さんかな」と書いたのが間違いだったかと思った。だが物語が進むに従って、でも実は…、それでもさらに… とほかの面が明らかになっていく。冒頭では、植木職人。籠を背負って腰の曲がった姿が、なかなかサマになっている。江戸っ子を思わせる、威勢のいい話しっぷりも小気味いい。今までのストイックな内野さん像が見事に飛んでいった。これだけでも1幕は満足!

…と思ったが、1幕最後に印象に残ったのは、麻美れいさん演じる教師と内野さんが歌うシーンだ。ここで詳しく明かせないのが残念だが、人生のあんな重大な局面に接した心の衝撃が、静かに、素直に伝わってくるのは、芝居という方法のおかげだろう。現実では、こんなきれいなやりとりは、きっとありえない。でも長年封印してきた気持ちの奥底は、現実ではなく芝居だからこそ、かたちを成すのかもしれない。「怪我をしては、いや…」という優しい子守歌が、耳の底に残る。

2幕。ここで魅かれたのは、藤木孝さんだ。1幕では「あれ? これが『デモクラシー』に出ていたあの黒幕の紳士?」と信じられないほどおどけていたのだが、2幕ではその可笑しさが恐ろしくなる。『デモクラシー』で政界の糸を裏から操っていた「おじさん」を思い起こさせる、策士である。

ラストシーン近くのせりふに「できるといいなという希望が、いつの間にか思い込みに変わってしまう」というような言葉がある。和平派がすがりついたロシア交渉ルート。軍部が固執した本土決戦。どちらも最初は単なる可能性にすぎなかった。対立するもの同士が、自分の言動を振り返って共にしみじみするのも、現実ではありえないことだろう。でも、戦時中の狂信じみた人たちを今の自分は笑えるのだろうかと我に返ったら、このシーンが心をちくりと刺してきた。翼賛体制下の人々のごとく、「何だか、ちょっとおかしいかも」と思うような行動を続けているうちに、いつの間にか感覚が麻痺して、違和感を覚えなくなってしまう……。そんな傾向は、現代に生きる自分たちにもあるのではないだろうか。電車の中で化粧する女性しかり、長いものに巻かれて安心している会社員や官僚しかり。

作者の井上ひさし氏が開幕に寄せた言葉は、脚本同様、締め切りに間に合わなかったのか、パンフレットに別刷りではさみこまれている。その最後の2行。私は観劇前に読んでしまったけれど、芝居を見ながらも「本当に?」と信じられない気持ちだった。でもそれがかえって、思い込みのおそろしさを際立たせていたようにも思う。

2階の横のほうの席でみたので、若干見切れもあったけれど、3000円でこんないいお芝居みせてもらって、豊かな気分。チケット代の倍以上の価値を感じた。新国立劇場という、公共施設の主催だからお値段控えめなのかな。ありがたい。

雨といえば思い出す舞台

真夜中になっても、雨がやみません。

傘を差しながら「はっ!」と気づき、道路をじっ…と見てみました。

舗道は銀色には見えませんでした。

恋心が足りない。


雨・夜道・ひとり歩きとくれば、そこは「レ・ミゼラブル」On My Ownの舞台。

でも知ってる、話相手は自分だよ…

「箱根強羅ホテル」劇評がありました

YOMIURI ONLINEから
エンタメ>舞台>演劇>箱根強羅ホテルをたどってみてください。

「エンタメ」ページの左下の方です。
人物関係などの解説もあるので、観劇当日を楽しみにしたい方は気を付けて読んだ方がいいかもません。

短髪の内野聖陽さん写真あり。
戦争末期のころの軍人さんなのかな。何の役に扮しても、厳しい顔がかっこいい人です。ジャベール、トート閣下など、時代がかったメイク・衣装の役でしか観たことがないので、今度の舞台が楽しみ。せりふも、レミゼやエリザの時代よりは現代に近いものになるだろうし。いや、60年前の日本だから、やっぱり今とはだいぶ違う言葉かもしれない。そのあたりもよく観てこよう。

blogが重くなっていました

昨夜23時前くらいから、このアメーバblogが重くなっていて、閲覧しにくかったほか、記事やコメントがなかなか反映されませんでした。申し訳ありません。

地震と観劇

東京都心では今夜、3回も身体に感じる地震があった。

下からだんだん「ぐらぐらぐら…」と突き上げてきてちょっと怖かったが、たまたま大勢でいたので心強かった。揺れたとき、お芝居を上演していた劇場もあっただろう。


私も、舞台を観ている間に地震にあったことがある。

昨日の誓いを破って申し訳ないのだが、レ・ミゼラブル2003年公演のときの話だ。今井バルジャンの回を観ていた。


「あとは、言うな。1500払おう~ 」  ぐらぐらぐら… ぐらりぐらり。


大きく揺れた。私が座っていた1階S席前方は、みな客席にとどまっていたが、後ろのほうでは席を立った人もいたらしい。確かに「ん、移動したほうがいいかな」と思うくらいの揺れだった。でも周りに合わせてなんとなくそのままにしていた。これって危機意識なさすぎだろうか…。


そのとき、舞台上で「取引」の場面はどうなっていたか。

リトルコゼット含め、全員が動揺せず、何事もなかったように話は進んでいた。テナルディエ夫妻がはけるころには、地震も収まっていた。


幕間に「地震で、お客さまにはごめ…(おそらく「ご迷惑」と言おうとしてやめて)、ご心配をおかけしました」という劇場のアナウンスがあった。舞台装置を点検していますのでご安心くださいとも言っていた。バリケードの部品が外れていないか、点検したのかな。


それにしても役者さんは、あのとき本当に気づかなかったのだろうか。あるいは、いつも盆が周る上で動いているから、少々の地震には動じないのだろうか。