出遅れたっ!
観たいなと思っていたのに、ぼーっとしている間に発売日に出遅れた、7月のお芝居。
◎LAST SHOW @パルコ劇場
風間杜夫さんを舞台で観てみたくて、興味を持った。パルコ劇場の最近の公演では、当日券を前の日に電話で予約しなくてはいけないケースが多い。LAST SHOWも同じシステムになるのかなあ。前日電話よりも当日並びの方が個人的には好きだったけど、仕方ないのだろうか。
◎義経千本桜 @国立劇場
前回「社会人のための歌舞伎教室」を買ったときは、公演日近くでも大丈夫だったので、たかをくくっていた。素人の私でも知っている演目だし、人気だったのね…。安いし、行きたかったよ。
◎七月大歌舞伎 NINAGAWA 十二夜 @歌舞伎座
一般売りは6/15(水)からだけど、平日の昼間に電話でチケットを取るのは難しいのでございます。というか、この公演の存在自体を知ったのが昨日だった。シェイクスピア×歌舞伎なんて、面白そう。
どこかで幸運のチケットにめぐりあえますように。なむなむ。
LAST SHOWは、ぴあに少し残ってますね。でも後ろで端っこな席は悩むな…。
論争を呼ぶジャベール?
『シアターガイド』 7月号を読んでいたら、ジェローム・プレドン(Jerome Pradon)という、フランス出身の俳優さんのインタビューがありました。彼が演劇学校を卒業してすぐ、フランス再演版「レ・ミゼラブル」のマリウスに抜擢されたのは1991年のこと。その後、「ミス・サイゴン」のクリスや「JCS」のユダなどを経て、2002年にはウエストエンドでジャベールを演じていたそうです。
インタビューによれば、そのときの「珍しい役作り」が論争を巻き起こしたとか。へー。どんな芝居をしていたんだろう?
彼が答えるには、ジャベールという人間は「絶対変なやつ」で、しかも「完全なノイローゼ」(!)。原作の人物像を大切にして情熱的に演じたそうですが、プロデューサーには「もっと抑えて!」と言われたと、自分で笑っています。(詳細は『シアターガイド』7月号をどうぞ)
記事からすると、なんだかぶっ飛んだジャベールだったようですが、自分の公式サイト では割とひかえめなお答えをしています。
「ジャベールには同情する部分がある。過去の自分自身を見つめて、人生のどこで間違えたのか振り返るところはとても心を動かされる」
「とても魅惑的だ。本来の自分を見失って心を閉ざし、道を誤った男だ」
(自己流訳なので、公式サイトのinterviewを参照ください)
実際に彼は、ジャベールのどの場面をどう演じて論争を呼んだのか? 残念ながら、それは記事に書かれていません。シアターガイドの記者さん、そこをちょっと突っ込んでくれたらありがたかったのにな…。この日記も、結局、彼について中途半端な内容しか伝えられず、もどかしい感じですみません。
この役は極端な設定だけに、俳優によっていろいろ異なる解釈が生まれやすいのでしょう。情熱的なあまり、周りが抑えにかかったジャベールか…。ジェロームさんの演技については観ていないので何とも言えません。でも演じる役について、自分の言葉で考え、語ることのできる俳優さんは好きです。
BWミュージカルのドキュメンタリー番組
ブロードウェイミュージカルの歴史をつづるドキュメンタリー。
NHK-BS2で、13日月曜日深夜0:30より、6回連続シリーズで放送される予定です。
(念のため当日の番組表を確認ください)
おそらく以前、ハイビジョンかなにかで放映されていたものですね。
「国際共同制作 華麗なるミュージカル」全6回
1 ショービジネスの幕開け - 1904~1927 -
2 ジャズに夢中 - 1914~1935 -
3 暗い時代の中で - 1929~1941 -
4 名作誕生 - 1942~1960 -
5 新しい息吹 - 1960~1980 -
6 拍手は鳴りやまず - 1980~現代 -
眠い時間だけど観ようかな。
トニー賞についての番組を観て
日曜夜の楽しみの一つに、NHK教育テレビの「芸術劇場」があります。
今夜は、先日発表されたトニー賞受賞作の紹介と、賞獲得をめぐる攻防について、取材も交えて伝えていました。
現地の演劇記者の話が興味深かったです。ブロードウエイ取材歴20年という彼は、毎年受賞作を予想しているそうですが、今年もミュージカル部門の「モンティ・パイソンのスパムロット」をずばり当てていました。でも注目したのは、彼がそう予想した理由です。(以下、日本語字幕を参考にした要約です)
「有力候補はほかにもあった。ただ『モンティ~』は、カラフルで楽しいアメリカのミュージカル。オペラ調のアリアが続く作品や、ヨーロッパのメガ・ミュージカルとは違う。いまは、難しいことを考えずに笑える作品が求められている。こんなふうに、作品の波は入れ替わっていくものだ」
この作品が受賞作に選ばれた背景、つまりアメリカの現在を考えさせられるコメントです。
トニー賞受賞というのは観客動員を大きく左右するとのことで、ノミネートされた作品の関係者は受賞を目指して積極的に選考委員へアピールをするそうです。去年の受賞作「アベニューQ」は、プロモーションが奏功した例とのこと。同じようなことが起きたのでしょうか、今年の演劇部門では大資本に寄らない作品に光があたったようです。
今度観る作品
今度観る舞台は「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」です。
主演・三上博史さんのインタビュー記事 を読んで、うぅぅっときてしまいました。理解しあえるだれかを探し続け、裏切られ、それでも失わないプライドをゴージャス衣装に包み、歌う。初演見たとき、なんだか分からないけど、大きな波に乗せられてて心がどこかに連れていかれてしまいました。今度は衣装を変えてくるようで、楽しみすぎるわ。
勝手に表彰式
【5月まで】に観た舞台作品に、勝手に賞を差し上げてみました。すべて筆者の主観ですが、ご容赦ください。
★特別賞 『レ・ミゼラブル』
自分にとっては別格で他と比べられない。でも未来のことは分からん。
★チャレンジ賞 『SHAKESPEARE'S R&J』
ミニマムな舞台装置、斬新な設定、新鮮なキャストの瑞々しい熱演、観られて良かった。今回の記事のなかで、どれかひとつもう一度みせてあげると言われたら、これにする。
★うっとり賞 『オペラ座の怪人』
退廃的な美のようなもの、嫌いじゃないらしい自分…。
★男の世界賞 『デモクラシー』
男の心理ドラマ。こんなカッコいいスーツ姿のおじさまたち、現実にはいないよ…。
★女の恋心賞 『本朝廿四孝』
あんなわずかな動きで恋心を表現しているとは驚き。「社会人のための歌舞伎教室」よ、ありがとう。
★衣装賞 タナボタ企画 『NOTHING BUT MUSICALS 舞い降りたDIVAたち』
もはや説明はいらないかと。興味ある方はタナボタ企画のページ へ。
★せつなさ賞 宝塚月組『エリザベート』
ハンガリー関係のシーン。詳しくは折を見て書こうと思います。
★怖い歌賞 『そして誰もいなくなった』
「10人の兵隊さん…♪」の不気味な童謡、夜中に聞こえてきたら泣くかも。
次にこの賞を差し上げるのは、6~8月の部かな? 夏の最後の企画にとっておこうかな。
サッカーは芝居になるか
今さらですが、サッカー日本代表のワールドカップ出場決定、おめでとうございます。昨日ようやく、試合の映像を見たのですが、最初「これは練習風景かな」と思ってしまいました。無観客試合だったんですよね。
では無観客芝居というのがあったとしたら…
音楽やバレエのようにコンクールをするとしたら、観客がいないというのもありうるかもしれませんが、芝居の場合、ちょっと考えにくいです。強いていえばゲネプロとか? でもそれは練習ですから、サッカーの無観客試合とは意味合いが違います。
ところで、さすがにサッカーはお芝居にはならないでしょうか。
映画はいろいろつくられていますが(邦画はあまりないかも)、これだけ人気のあるモチーフだというのに、ステージで取り上げられないのはもったいないかもしれません。22人が舞台を駆け回って試合の様子を再現する… これは無理があるな。
でも、一人芝居なんかだったらどうでしょう。プレーヤーや監督の心理描写を中心として。ピッチを走っている人を描写するのは難しいし実況中継風味になってしまうかもしれませんが、例えば味方の背中を見続けているゴールキーパーの気持ち、ベンチにいる控え選手のひやひやした心境、緊張しっぱなしの監督とか。ロッカールームでのチームの葛藤なんかも、芝居になるかな。
ザスパ草津の話
や、アルビレックス新潟の話
のように、周りを巻き込んだ物語もいいな。
だれか書いてくださーい。
キャラメルボックスの西川浩幸さんが演じたコントラバス奏者の一人語りや、風間杜夫さんの「カラオケマン」「旅の空」「一人」といった一人芝居をイメージしてみました。
以上、楽しい想像でした。(ヒマだった)
「ラ・マンチャの男」(2)幸せを演じる稀少な力量
昨日の記事 では、自分を騎士ドン・キホーテと名乗る男の夢物語が、旅籠の下女アルドンサや観客の心を動かしたという話を書いた。
アルドンサを演じる松たか子さんの芝居で、よく覚えているところが2つある。
まずは、男たちに陵辱されてぼろぼろになったあと、自分へ変わらぬ想いを寄せるキホーテに、鬼気迫る形相で詰め寄るところ。「ドブの中で生まれたあたいさ」「罪? 一番大きな罪を知ってるかい? 生まれてきたことだよ。その罰としてこうして生きている!」彼女の感情が最も高ぶっているシーンだ。確かにインパクトを感じたが、自分にとってはセリフによる印象の強さのほうが大きかったかもしれない。
それに対して、最後にキハーノを看取ってから、おもむろに座り込み「ドルシネア… ドルシネア…」とささやくように歌うとき。恍惚とした表情には、松さんだからこそ出せる気高さを感じた。自分は荒んだアルドンサじゃない、この人によってドルシネア姫になれたんだ…。たぶん、初めて人生を肯定できた幸せをかみしめているのだろう。こんな繊細な感情を観客に届けることができるなんて、やはりただものではないのだと、素人の私でも感じる。
「ミス・サイゴン」のキムを松さんが演じたときにも、同じようなことを思った。キムも、夢のない生活を続けていたところを米兵クリスとの出会いによって救われ、将来に希望を持つようになる。悲しい離別が待っていることをまだ知らないキムのはかない幸せを、奥ゆかしい笑みと美しい所作で表現した松さんの演技は、なんだか特別なものだった。
激しい演技も迫力があって好きだが、穏やかな幸せがじわじわ伝わってくると、こちらも心が満たされる。こういう演技力は、おそらく訓練して得る種類のものではないだろう。「貴さ」をかたちにして表すことのできる、稀少な役者さんだと思う。
ところで、一つ疑問が。
アルドンサが、自分を襲った男たちのケガを手当てするとき、むすっとした声で「気高い心が許しません」と言う。私が観た回は、そこで客席からかすかに笑いが起こったのだが、ここは笑うべきところなんだろうか? アルドンサに痛々しいものを感じていたところだったので、この反応にはとまどった。
「ラ・マンチャの男」(1)夢とは骨太で力強いもの
(あらすじは、有名なので省略。公式サイト
にも載っています)
(感想ここから)
有名なこのミュージカルを初めて観た。舞台には、幕がない。中央に、岩に囲まれた土俵のようなステージが見える。席についてから開演までしばらくの間、この黒くごつごつしたセットを眺めることになる。
無骨なセットの印象は結局、「ラ・マンチャの男」という芝居そのものの感想になった。
本を読みすぎたあまり、自らをいにしえの騎士「ラ・マンチャのドン・キホーテ」と称するようになった男・キハーノ(松本幸四郎)。古い鎧をかぶり、世を正さんと旅に出た。言うなれば、時代遅れの勘違いヒーローである。風車を巨人だと思い込んで戦いを挑んだり、旅籠を見てもお城だと言い張るこの主人のことを、家来のサンチョは最初とがめるが、やがてそのまま従うようになる。
旅籠の下女アルドンサ(松たか子)が、「なぜそんな主人についていくのか」と尋ねると、サンチョは「だって旦那のことが好きなのさ」と微笑むだけ。惚れたもん勝ちなのだ。だが、笑い捨てる気にはなれない。主人を信じきっているサンチョは心から幸せそうだから。
身も心も荒んでいるアルドンサを一目見るなり、どういうわけかキホーテは「ドルシネア、わが思い姫!」と一途に称え始める。姫だって!? いぶかりながらも心なびく彼女。そこへ旅籠の男たちが襲いかかった。慰みものにされたアルドンサは、キホーテに向かって爆発する。「一番大きな罪を知ってるかい? 生まれてきたことだよ。その罰としてこうして生きている!」 それでも、「ドルシネア姫よ」と慕う騎士の心は揺るがなかった。
はたして、ここで信じるに値するのは、キホーテの夢の世界なのか、いや、やはり彼の気が狂っているという事実のほうか? 話が進むに従って、アルドンサにも観客にもよく分からなくなってくる…。
松本幸四郎さんの演技で気がついたのは、このミュージカルの代名詞ともいえるいくつかの決めゼリフを発するとき、声がいっそう高く通って聞こえたことだ。
「夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」(追記2)
「狂気とは何か? ……一番憎むべき狂気は、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」
「事実は、真実の敵なり!」
その時、空気が一瞬引き締まる。歌舞伎でいう「見栄を切る」というのも、こういう瞬間に似ているのだろうか。夢ばかり見ているあなたは病気だと言う精神科医のカラスコ博士に、キハーノが返す上の言葉は、医者の診断より筋が通っているように思えてしまう。
この作品がアメリカで初演された1960年代は、各地で反体制運動が盛んになり、人々があるべき姿を求めて立ち上がった時代だった(公式サイトより)。自分にも成し遂げたい夢はあるけれど、挑戦するのは、実はこわい。理想を持ち続ける強さ、人生を支える太い背骨を失わないために、これからもときどき「ラ・マンチャの男」を観たいと思った。
素朴で力強い芝居や音楽は多くを説明しているわけではないが、示唆に富んだセリフが多く、観る人によっていろいろな解釈ができそうだ。年をとったら、また違う見方ができるだろう。
アルドンサの話は次回にて。
追記:
せりふは、記憶などによるものなので、一言一句正確ではないかもしれません。ごめんなさい。
追記2:
小泉首相がこの間、国会の答弁でこの言葉を引用していましたね。ある議員に「(郵政民営化に邁進する)あなたを『ドン・キホーテじゃないか』という人もいますよ」と質問(?)されたのだが、「私、ドン・キホーテ好きなんですよ。『夢は稔りがたく…』」と、すらすらセリフを言ってのけた。だてに芝居好きではないな。質問した議員さん、敵の研究が足りてませんよ!
「愛と哀しみのルフラン」想いはいま、客席をめぐる
(読んだ本)
「愛と哀しみのルフラン」 著:岩谷時子
講談社文庫 1986年
(感想ここから)
「愛と哀しみのルフラン」は、作詞家・岩谷時子氏による随筆。「ルフラン」とは、詩または音楽で、同じ言葉やメロディーを繰り返すことをいう。リフレインとも呼ばれる。
「舞台と本の日記」と題するblogを立ち上げたのに、いままで本の話を取り上げてこなかったのは、この本を最初に紹介したかったから。当初は5月末にでも感想を書こうと思っていたのだけど、きれいな優しい文章を急いで読むのがもったいなくて、毎日ゆっくり数ページずつめくっていった。やっと今日、最後までたどりついた。
このblogを読んでくださっている方の多くがおそらく親しんでいるであろう、「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」などの訳詞を手掛けた岩谷氏。両親の愛情を一身に浴びながら宝塚歌劇を観て育った子ども時代、宝塚歌劇団に就職したのち越路吹雪さんのマネージャー・親友として苦楽を共にした日々、そして越路さん亡きあとの心の風景や、芸能界で交流のある人々の話などがつづられている。
ミュージカルの訳詩についても、少し触れられている。演出家がどんな歌詞を求めたか、新しい作品に向かうときの心境はどんなものか。具体的な作品名は出てこないが、きっとレミゼの仕事もこんな厳しさだったのだろうと思わせる。日本のミュージカル黎明期に、質の高い舞台を求めて努力し続けた越路吹雪さんや岩谷氏の存在があってこそ、今日の水準がある。
「人生とはしょせん、『愛と哀しみのルフラン』ではないだろうか」と岩谷氏。文学少女、編集者、マネージャー、作詞家という歩みの中で、たくさんのよろこびが訪れたであろう反面、心を痛めることも何度となくあったことがこのエッセイから読み取れる。そうした想いはいま、ミュージカルの歌詞となって客席をめぐり、観客の心に響き続けている。岩谷氏の美しい歌詞が生まれた背景を知りたい方には、ぜひお勧めしたい1冊。
つぶやき:
現在、この本の新品を手に入れるのは難しいようです。私はアマゾンのマーケットプレイス(古書の個人売買コーナー)で買いました。